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名古屋高等裁判所 昭和26年(う)1688号 判決 1952年8月22日

控訴人 被告人 川島治七

弁護人 山本法明 外一名

検察官 片桐孝之助関与

主文

原判決を破棄する

被告人を懲役一年六月に処する

但し本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する

原審(但し証人森本秀男に支給した分を除く)及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする

理由

本件控訴の趣意については弁護人山本法明及び同宮原正行各提出に係る控訴趣意書の記載を各引用する検察官は本件控訴は理由のないものとしてその棄却を求めた

各控訴趣意の第一点について

原審が前記の日本石油株式会社増資新株式申込証拠金領収証を以て有価証券と解したことは各論旨の通りである而して刑法における有価証券の概念が私法における有価証券の概念と無関係のものといえないことは勿論であるが各法令は夫々固有独自の目的を有しその目的に応じて同一名称の概念もその法令の目的に応じてその範囲に広狭の差異を生ずべく現に証券取引法においても大衆の売買や応募の対象となる権利について大衆を保護するという目的からその有価証券とするものが私法上の有価証券とその範囲を一にしていない点からするもこのこことは承認せざるを得ないものというべく従つて刑法に所謂有価証券の概念も亦刑法独自の目的から私法上の有価証券の概念と若干その範囲に差異を生ずることはやむを得ないこととせねばならない

然るところ本件申込証拠金領収証は後記のように世上一般に行われているものと同様のものでありその記載するところによれば増資新株式申込の証拠金としてその申込株式の全金額の払込を受けそれと同時にその申込に応ずる割当がなされたことになつていてその申込証拠金領収証は同時にその株式の引受を証する書面となるものであり且つその所定株金支払期日(本件においては昭和二十四年五月三十一日)においてはその申込証拠金は当然に株式払込金に振替充当せられそれと共に申込証拠金領収証は株式払込金領収証に転化せられその株券受領欄に所定の記入及び押印がなされた場合は右の領収証と引換えに株券の交付がなされるものであることが認められるのであつて右のような領収証にそれに押捺してある印影と同一印影の存する白紙委任状を添附したものは世上において恰も白紙委任状付記名株券同様に転輾流通される商慣習の存在することは衆知のことでもあり又一件記録上これを窺うに難くないことであつて少くとも右の領収証は証券取引法第二条第六号に所謂株式の引受を証する書面に該当し同法に所謂有価証券なることはこれを否定し得ないのであるが進んで改正前の商法第百九十条第一項(改正後の同法第百九十条)及び改正前並びに改正後の同法第二百四条第二項によれば株式引受人の権利又は株券発行前の株式の譲渡についてその取引当事者間に於ける効力は敢えて法の禁止するところではないが会社に対してはその効力の存せざることが規定せられ然もその規定は強行法と解せられる結果取引当事者からその譲渡の効力を会社に対して主張し得ないことは勿論会社自らもその効力を容認し得ないので結局会社に対する株券交付の請求はその当初の株式引受人以外のものが仮令新株式申込証拠金領収証を所持していてもこれをなし得ないのであり又その領収証を喪失した場合果して除権判決をなし得るか否かについても疑義があり従つてこれを私法上の有価証券と断定するのは躊躇せざるを得ない然しながら既に説示したように右領収証に白紙委任状を添附したものは世上において恰も白紙委任状付記名株券と同様に流通する商慣習が存し又会社も事実上その流通を認めその所持人に対しこれと引換にのみ株券を交付(形式的には所持人は当初の株式引受人又は株主の代理資格において株券を受取り他方会社はその所持人に株券を交付して免責される)している実情においてその経済的機能に着眼するときは刑法上これを有価証券として保護せざるを得ないものと考えられる蓋し刑法が有価証券を特に一般文書と区別する所以はそれが世上へ多量に散布せられ又はある権利を化体したものとして広く転輾流通せられる点換言すればそれが集団的乃至反覆的取引の対象とされる点にあると認められるからである従つて原審が本件新株式申込証拠金領収証を以て刑法上の有価証券と解したことを以て事実誤認乃至法令の適用を誤つたとする論旨はこれを排斥する

弁護人宮原正行の控訴趣意第二点について

一件記録によれば岐阜市加納東丸町所在の大垣共立銀行岐阜南支店(現在岐阜駅前支店)の支店長三輪辰雄は被告人に対して定期預金債権及び有価証券を担保とする正規の貸出の外顧客たる被告人の便宜を謀つて同銀行の貸出規定に副わない原審判示の宅地、山林を担保として当座貸越の形式による貸出(従つてこれには正規の当座貸越契約書は存しない)を行い被告人から右宅地山林の権利書その他の関係書類を預つていたのであるが昭和二十四年七月当時においてはその貸越額が百万円を超ゆる状態となつていたところ本店によつて監査が行われることになつたのでそれ迄に正規でない貸越を解決する必要を生じ尓来被告人に対してその決済方を迫り被告人も同人の苦境を察しその決済に努力したのであるが早急その完済の見込がないところから本件増資新株式申込証拠金領収証を偽造しこれを担保として新に同銀行から金融を得てこれを以て前示貸越を完済し一時の急場を凌ぐ外なしとして右三輪辰雄との間に時価百万円位の有価証券を担保に差入れて同銀行から六十万円の貸出を受けそれを以て右貸越債務の支払に充当すること尚借主は被告人以外の第三者とし被告人はその保証人の形式とすることの諒解が成立し依つて同年八月十三日頃被告人がその当時社長であつた大成紙工業株式会社の従業員板津友二郎及び三浦光雄各振出の額面三十万円の手形二通と共に白紙委任状を添附した本件二十五枚の偽造新株式申込証拠金領収証を真正なものとして右三輪辰雄へ提供し前示諒解に基いて新に同銀行から被告人を保証人とし右板津友二郎及び三浦光雄へ各三十万円を貸出しその合計六十万円は現実に交付されることなくその現実交付に代えて被告人の前示当座貸越額へ充当され且つその貸越残額は被告人から現金を支払い茲に右当座貸越金債務を消滅せしめその数日後において三輪辰雄からその担保としてあつた宅地、山林の関係書類が返還されたことが認められるので経済的には或いは論旨のように右の関係は単に従前の六十万円の債務についてその弁済期を延期した丈に過ぎぬかも知れないがその前後の二個の六十万円の債務はその借主なり担保なり成立時期を異にし別個の債務関係たることは明かであり従つて当座貸越の形式による六十万円の債務は消滅し因つて被告人がその支払を免れたものとせねばならないのでありその他の論旨挙示の事由を以てするも右の見解を左右し得ないからこの点に関する主張は採用するに足らないところで右の事実関係においては被告人が本件偽造増資新株式申込証拠金領収証を恰も真正なものであるかのように装つて欺罔手段を施したことと右三輪辰雄をしてこれを担保に新に六十万円の貸出を約諾せしめた上その現金授受に代えて従前の貸越金債務えの振替充当によるその債務の消滅これを反面からいえば被告人がその貸越債務に対する支払を免れたこととの間に直接因果関係の存することはこれを肯定し得られるがそのことによつて(右振替充当によつて消滅した六十万円以外の残額は被告人から現金で支払うたことは前述の通り)前示宅地、山林は当然その担保性を喪失するに到つたものであり原審はその担保の解除を得たことも被告人の欺罔と直接因果関係のある不法利得と解しているが一件記録を通じてもその担保解除について欺罔手段が施されたことはこれを認め得ないのであつてその関係書類の返還も単に右貸越債務関係終了に伴う当然の後始末としてなされた丈のことであり被告人の欺罔手段との間に直接因果関係があることはこれを認め得ないし又中京電機株式会社振出に係る約束手形四通その額面合計八十万円も亦一時右貸越債務の担保に供せられていたことは一件記録上明かなところではあるが原審証人森本秀男に対する尋問調書及び原審第二回公判における証人三輪辰雄の供述記載から前示振替充当による右貸越債務の終了前にその各手形金額が支払われその都度その手形は返還されていたものであることが認められ三輪辰雄の検察官に対する供述調書及び原審証人三輪辰雄に対する尋問調書において右の認定に副わない供述があるけれども前掲の証拠と対比して措信し難いよつて右四通の約束手形の返還は本件偽造の増資新株式申込証拠金領収証の提供とは何等関係がないものとせねばならない

以上のように右山林、宅地、約束手形の担保解除を以て欺罔手段により不法に利得を得たものとする原審の判定は事実誤認か或いは法令の適用を誤つたものであつて且つその違法は判決に影響を及ぼすことが明かであるから原判決は尓余の論旨を判断する迄もなくこの点において刑事訴訟法第三百九十七条によつて破棄さるべきものである

而して本件は一件記録及び原審で取調べた証拠で当審において直に判決し得られるから同法第四百条本文に則つて更に判決する。

(事実)

被告人は印刷業を営む大成紙工業株式会社の社長であつたが予ねて岐阜市加納本丸町所在の大垣共立銀行岐阜南支店から定期預金債権及び有価証券を担保として貸出を受けていたのであるがその外同支店長三輪辰雄は顧客たる被告人の便宜を謀つて同銀行の貸出規定に副わない宅地、山林を担保とし当座貸越の形式で被告人に対し貸出を行つていたが本店の監査が行われることになつたのでそれ迄に右貸越を整理する必要を生じ同人から被告人に対しその貸越債務を完済されたい旨を申入れ被告人も同人の苦境を察しその解決に奔走したが他から早急金融を受ける見込みがなかつたところから偽造の増資新株式申込証拠金領収証を以て別途に同銀行から金融を受けこれを以て右の貸越債務を完済しようと考え

第一(一)昭和二十四年八月八日頃岐阜市高岩町十番地所在の右会社の工場において行使の目的を以て擅に情を知らない同会社工場長船渡俊二をして日本石油株式会社新株式申込取扱所大和銀行本店営業部の名義を以て増資新株式申込証拠金領収証と題し宛名欄を空白とし金五千円也但一百株分(一株につき金五十円也)を右日本石油株式会社増資新株式申込証拠金として領収する旨の文言、右の申込証拠金は払込期日(五月三十一日)に於て株式払込金に払替充当すべき旨の文言及び本領収証を以て株式払込金領収証として取扱い別に株式払込金領収証を発行せざること、本領収証引換に株券を交付すべきこと並びに株券との引換方法は後日公告すべきことの注意書が存し次に一線を劃し年月日、株主の住所氏名欄を空白とし東京都千代田区丸の内三丁目十番地日本石油株式会社宛に右新株式に対する株券を受領した旨の文書を記載した日本石油株式会社増資新株申込証拠金領収証約四十枚を順次印刷せしめた上翌々日頃同工場において右領収証の宛名として活字を以て架空の石田政之助の氏名を次いて同月十八日岐阜市中竹屋町安田玉枝方においてナンバーリンク機により右各領収証の番号欄に一連の番号を順次押捺せしめ更にその頃同所において予ねて用意の大和銀行本店営業部の長方形の印章をその作成名義の大和銀行本店営業部の箇所に又石田なる印章を新株券受領文言の部分における株主氏名欄の下部に各押捺し以て順次大和銀行本店営業部作成名義の日本石油株式会社に対する百株分の増資新株式申込証拠金領収証約四十枚の各偽造を遂げ

(二)同月十三日頃右大垣共立銀行岐阜南支店において右三輪辰雄に対し前示板津友二郎及び三浦光雄各払出の額面三十万円の約束手形二通と前示石田政之助の白紙委任状を添附した右偽造の増資新株式申込証拠金領収証二十五枚を一括して真正なものの如く装うて提出行使し

(三)因つて右三輪辰雄をして右増資新株式申込証拠金領収証を真正なものと誤信せしめた上これを担保とし借主を右板津友二郎及び三浦光雄保証人を被告人とする各三十万円計六十万円の貸出を承諾せしめこれを当座貸越債務六十万円に振替充当せしめて以て不法にその六十万円の支払を免れ

第二(一)同年八月二十三日頃同市長良東町三百五十八番地尾野虎一方において同人に対し時価三、四十万円相当の株券を担保として提供する意思がないのに「後日確実な有価証券を担保として提供するから金四十万円を貸して呉れ」と虚構の事実を申向けて因つて同人をしてその旨誤信せしめ同月二十四日頃右尾野方において同人から十六銀行長良支店支払尾野虎一振出額面四十万円の小切手一通の交付を受けてこれを騙取し

(二)同年九月十日頃右尾野方において同人に対し前記第一(一)掲記の偽造の増資新株式申込証拠金領収証の内十一枚を前記四十万円及び被告人が既に右尾野虎一から借用していた六十万円を担保するため真正なものとして一括交付して行使し

たものである。

(証拠)

一、有藤熈吉の始末書

一、日本石油株式会社日本橋分室総務部株式課の事実照会につき御回答の件と題する書面

一、司法警察員に対する船渡俊二第一、二回供述調書

一、検察官に対する同人の供述調書

一、検察官に対する安藤桂の供述調書

一、司法警察員に対する安田成道の供述調書

一、検察官に対する三輪辰雄の供述調書(中京電気株式会社振出約束手形返還に関する部分を除く)

一、原審証人三輪辰雄に対する尋問調書(同上)

一、原審第二回公判調書における証人三輪辰雄の供述記載

一、原審証人堀晃に対する尋問調書

一、証第一号の増資新株式申込証拠金領収証二十五枚、証第二号の白紙委任状二十五枚、証第三号の約定書四枚及び証第四号の約定書四枚の各存在

一、司法警察員に対する尾野虎一の供述調書

一、検察官に対する同人の一、二回供述調書

一、検察官に対する山川政一の供述調書

一、司法警察員に対する被告人の第一、二回供述調書

一、検察官に対する被告人の第一乃至第四回供述調書

(適条)

法律に照すと判示第一の有価証券偽造の点は各刑法第百六十二条第一項に同行使の点は各同法第百六十三条第一項に詐欺利得の点は同法第二百四十六条第二項に該当し右有価証券偽造、同行使、詐欺利得は順次手段結果の関係にあり且つ右行使は一個の行為にして数個の罪名に触れるので同法第五十四条第一項前段後段第十条により最も重き同行使罪の刑に従い又判示第二の詐欺の点は同法第二百四十六条第一項に偽造有価証券行使の点は同法第百六十三条第一項第五十四条第一項前段第十条に該当し以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条本文第十条によつて最も重い判示第一の偽造有価証券行使罪の刑に併合加重をした刑期範囲内で被告人を懲役一年六月に処し尚本件諸般の情状を考慮して同法第二十五条によつて本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予し原審における訴訟費用(但し証人森本秀男に支給した分を除く)及当審において国選弁護人に支給した訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項によつて全部被告人をして負担せしむべきものである

尚本件公訴事実中被告人が(一)岐阜県加茂郡佐見村下佐見地内字大洞千四百五十三番の四山林二反九畝二十七歩外二十二筆(二)岐阜市千代田町一丁目九番地宅地六十六坪同十番宅地九十八坪、同市養老町一丁目十三番地宅地百三十三坪(三)振出人中京電気株式会社受取人川島治七の約束手形額面三十万円のもの一通、同十五万円のもの二通、同二十万円のもの一通について詐欺利得したとの点は前段論旨に対する判断において説示した理由によつて犯罪の証明がないことになるので同法第三百三十六条に従つて無罪の言渡をすべきところ前示貸越債務六十万円の支払を不法に免れた詐欺利得と一罪の関係にあるとして起訴されたものであるから特に主文においてこの言渡をしない。

仍て主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 河野重貞 裁判官 山田市平 裁判官 小沢三郎)

弁護人宮原正行の控訴趣意

第一点原判決は事実の誤認及び法令の適用に誤があつて明かに判決に影響を及ぼすものであるから破棄せらるべきものである。

一、原判決理由中罪となるべき事実の摘示中被告人が偽造行使せる『日本石油株式会社の増資新株式申込証拠金領収証』に対し原審弁護人等が私文書と見るべきであるとの主張にも拘らず、原判決はこれを有価証券なりと認定し刑法第百六十二条第一項同第百六十三条第一項を適用したが右は明らかに事実を誤認し法令の適用を誤つたものである。

二、何となれば、(1)刑法上有価証券偽造の罪は有価証券が取引上流通に置かれるため特に文書偽造の罪より刑を加重するための特別罪である。従つて有価証券は所謂私文書と明確に区別されなければならない。(2) 而るに有価証券の観念に関しては判例学説上議論が分れ法律上明かでない。判例の一応の定説は其証券に表示せらるる権利の行使に其の証券の占有を必要とするものとされている。(大正三・一一・一九大審院判、大正五・五・一二同判)本件増資新株式申込証拠金領収証は所謂領収証であつて民法商法上の通例有価証券として挙げらるるものに入らないことは明かである。本件領収証が何を明かにするかと云えば新株式申込証拠金の領収の事実である。領収証発行会社が何故申込証拠金領収証を新株引換のため提出せしむるかと云えば申込証拠金支払の事実の証明のためである。これは証券面記載の権利行使のため云々と云う判例の要件には適合しないことになるから本件領収証は有価証券ではなく単なる証明書類に過ぎない。(3) 有価証券に関しては私法上疑点がありこのため証券取引法は一応その第二条にその種類を規定したが、本件申込証拠金領収証はそのいずれにも該当しない。強いて云うならば第二条第六号であるが単なる株式申込証拠金領収証を以て『新株の引受権を証する書面』とは云い難い。

三、よつて本件新株式申込証拠金領収証の偽造行使は私文書の偽造行使を以て論ずべく刑法第百五十九条第一項同第百六十一条第一項を適用すべきであつて、原判決は刑法第百六十二条第一項同第百六十三条第一項を適用した事実の誤認適条の誤りあり、且法定刑に彼此差異があるから判決に影響あるものである。

第二点原判決は事実に誤認あり判決に影響を及ぼすものである。

一、原判決摘示事実中第一の中『被告人は前記偽造有価証券を……中略……以て前記金六十万円に相当する債務の支払を免れ』と認定しているが被告人は決して債務の支払を免れたものではない。(1) 被告人は当時の大垣共立銀行南支店よりの当座借越が同銀行支店長であつた三輪辰雄の不正貸出であり、且銀行の検査が切迫したため同人が苦慮していたのを保護するため三輪承諾の上被告人の使用人たりし板津友次郎三浦光雄両名の名を藉り被告人保証の額面金三十万円の手形二通を同銀行支店宛振出し借換を為したものであつて、名義人等が借用主にあらず直正の債務者は被告人であることは既に同銀行支店長三輪辰誰も承知済であることは明白な事実である。(原審公廷三輪辰雄の証言)(2) しかも本件偽造証書は被告人が他より借り受けて来たものであつて後日自己所有の有価証券と差換える旨の被告人の申込も右三輪辰雄に於て承知済(前記三輪の証言)且当時被告人は相当額の株券を買入れて居た事は証拠に照し明かである。(山口源一内容証明郵便)(3) 従つて被告人は決して金六十万円の債務の弁済を免れたものではなく一面三輪辰雄の立場を保護し他面一時債務弁済を得たものであつて債務の支払を免れたりとする原判決は事実を誤認したものである。

二、原判決事実摘示中第一の内『且その債務の担保として(一)……中略……の解除を受け以て財産上不法の利益を得』とあるがこれ亦全く誤認に基く事実の認定である。(1) 被告人が(一)加茂郡佐見村の山林二反九畝二十七歩外二十二筆時価約三十万円(二)岐阜市千代田町宅地六十六坪外二筆時価約四十万円については三輪辰雄はあたかも銀行支店がこれを担保として取つた如く述べているが証拠たる大垣共立銀行岐阜駅前支店(旧南支店)の担保品台帳写そのものは担保としての記載なく不動産一時預り分とある分に記載あり、これに関し三輪辰雄は同人の尋問調書に『当時書いたものでなく手控によつて書いたものです』と述べ正式に担保に取つたものでないことを自白している。これは被告人上申書に明かな如く前記不動産を本件債務の担保として差入れようとしたが、不動産担保に関しては銀行の業務手続上困難があり、且貸出が不正であり、三輪の立場上具合が悪いので一時三輪が右不動産関係書類を握つていたものと解すべきであり本件偽造証書の差入れにより担保を解除したと解すべきではない。このことは三輪の証言の言外の意味、被告人の上申書よりして明かである。(2) 中京電機株式会社の四通の手形に関しては同会社経理課長森本秀男の帳簿に基く有力な証言がある。これによれば同会社が昭和二十四年三月以降数回に亘り被告人より金員の借入を為したものであり本件四通の約束手形も右借入の内のものである。しかも右約束手形は同会社より現金返還の都度被告より同会社に返還されたものであつて同会社に右四通の手形が返還されたのは昭和二十四年八月初旬より八月十三日迄の間である(森本証人訊問調書)。然るに原審判決は全然右証拠に対し何等の判断をも示さず証拠として採用していない。右森本の証言は帳簿に基き為されたものであつて疑の余地なきものであるにも拘らず全然これを採用せず右の点に関する三輪辰雄の再度に亘る前後矛盾せる証言、而も三輪の銀行に対する立場上明確な事実を述べ難い事情にある三輪の証言を採証して前記の如き事実認定を為したものであるが、(イ)前記不動産に中京電機の約束手形を合せれば担保の額は約百六十万円となり、当時資金に苦しんでいた被告人としては余り多額の担保を差入れ過ぎる。(ロ)中京電機に融資したものであればそれだけの資金の返済があり偽造証書の差入とは無関係と見るのが道理に適合するのであつて、中京電機の約束手形に関しては証人森本秀男の訊問調書及原審公廷に於ける証人三輪辰雄の証言、被告人の原審公廷に於ける供述の如く全く偽造新株式申込証拠金領収書の行使とは無関係であつて現金支払の都度返還されたものと認定すべきものである。(3) 原審判決は右の事実を誤認しこの誤認は犯情に重大な差異を来し判決に影響あり破棄せらるべきものである。

弁護人山本法明の控訴趣意

(一)原審判決に依れば本件被告人に対して公訴事実の第一に対し有価証券偽造行使詐欺罪に(刑法第一六二条一項)第二に対し詐欺偽造有価証券行使罪に(刑法第一六三条一項)右各事実において詐欺罪(刑法第二四六条二項)に問擬しているのであるが本件被告人の行為は摘示事実について見るに有価証券偽造罪に該当せざるものと信ずる。即ち有価証券とは言う迄もなく証券上表示せられた権利の譲渡又は行使のためには其の証券の占有を必要とするものなるや論を待たず亦其の権利は物権債権又は社員権たるとを問わぬも茲に本件事案に被告人が偽造したと称する所謂日本石油株式会社の増資新株式申込証拠金領収証が果して有価証券なりやの疑問を存するところである。

商法の解釈としては株式申込証は会社の定款又は社債申込証等の如く設権証券であり又株式申込証拠金領収証は証拠証券であつて右等の証券は有価証券にあらずとは言えぬもそは別として所謂株式の申込は一般に株式申込証に依つてなされ其の条項として申込株式一式について若干の申込証拠金を支払わしめるが株式申込は之に対して株式の割当て其の割当てに対する株式の引受け等の段階を経て為されるのであつて株式申込証を所謂有価証券と称するには少くとも株式の割当以降にあらざれば之を認むることを得ずと信ず。即ち証券取引法第二条第六号は「新株の引受権を表示する証書」として有価証券と為すも要は株式申込に対して株式割当以降を表示する証書なりと信ずる(旧商法第三五〇条乃至三五二条及三五七、三五八条参照。)然して従来慣行されている株式申込証拠金は言う迄もなく株式の割当てがあつたとき株式払込金額に充当され其の限りに於て株式引受人となるが不足あるとき又は払込を為さないときは失権となり株式の割当がなくば株式引受人でもない。茲に株式引受人と株式申込人の地位について見るに株式引受人は株式金額払込期日に株金を払込めば当然株主になる権利があり所謂権利株の問題あるも株式申込人に於ては割当以前に斯ることなしと信ずる。上叙に依り本件被告人に対しては刑法第百五十九条の罪を以つて処断すべきに刑法第百六十二条第百六十三条の罪に問擬したる原判決は法律の適用を誤りたること明らかであつて到底破棄は免れぬものと信ずる。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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